R7年3月26日
やじろべえの厨房が屋台骨のラーメン屋さんに大変身!
宮崎で有名なラーメン店の「屋台骨」さんが…!
今日はなんと!やじろべえに来てくれました!
今日は厨房で実際に調理していただいたのですが、店名の書かれたのれんや、店舗で使われている紅のどんぶりや調理器具をわざわざご持参いただきましたので、お店の雰囲気をしっかりと感じることができました!

らーめんが出来上がった順に1杯ずつ提供させていただきましたが、みなさん目を輝かせながら待っている間も楽しまれていました。
食事された方からは「美味しい!」の言葉が食堂中に飛び交い、普段はあまり食べない方からもおかわりを頼まれ、とても嬉しかったです。
利用者のみなさんが食後に「ごちとうさまっ!」「ありがとう!」とスタッフの方たちに言葉かけされていましたが、その一人一人に対して丁寧にお答えいただいたり、お話をされたり、屋台骨スタッフのみなさんの優しい対応にほっこりさせていただきました(笑)
みなさんとても満足され、笑顔いっぱいでたくさんの感想をいただきました。
「こんなにおいしいラーメン初めて食べました♪」
「餃子が大好きになりました!」
「お仕事もっと頑張って、次は自分の工賃を貯めてで屋台骨のお店に食べに行きたいな」
「替え玉の注文に憧れていたので、生まれて初めて替え玉を経験できて嬉しかった♪」
「人生の中で食べたらーめんランキング1位が屋台骨さんに更新されました!」
「わたしは替え玉2回しました!(太っても)悔いはありません!笑」
最後は記念撮影までしていただき、今日はやじろべえに来ていただき本当にありがとうございました。










マジっ!最高のラーメン(スープ&麺)でした!
自分は、C級(B級?)グルメ王!(と呼ばれたい?)を自ら名乗りたい変なおじさんですが、「やじろべえ」に通うようになって、この施設には自分よりもっと高いレベルを持つ人がいることを思い知らされました。。
高校卒業後、すぐに県外で生活を始め、宮崎のラーメンを本当のところ、あまり知らないできたのですが、それでも10年ほど前に難病指定を受け帰省してから、引きこもりがちながらも、宮崎の美味しいと言われるラーメンを食べにそこそこ足を運んでいるし、県外のラーメンなら各都道府県でたくさん食べてきました(いわゆる二郎ラーメンや、北海道味噌ラーメン、喜多方ラーメン、家系ラーメンなどを、場合によっては飛行機移動してまで現地に足を運んで)。
それで、もうラーメンのことは一応分かったものとして、病気や経済面、移動手段の問題からも、新しい味(店)開拓を辞めていました。
ところが、これまでの自分の記憶に残るラーメンたちをグ~ンっと突き放して、お世辞抜きで「屋台骨」のラーメンは、自分史上最高のおいしさを私に知らせてくれたのです!!
初めて私の口に運ばれた「屋台骨」のラーメン。不純物など一切含まれていないかのような、実際にはありえないけれど、私には澄み切っているようにしか思えない、綺麗な豚骨スープのトロリとした上品な喉ごしと、舌の上で静かに踊り始めたかのような、軽やかな華やかさで、私を新しい地平に導き入れてくれました。
ラーメンと同様に、餃子も美味しかった。
学生時代、学園祭で所属するサークルが出店する「水餃子」の屋台で、サークル部長、兼、料理長として、サークル史上最高売り上げを達成し、同時に開催した講演会で招へいした映画監督の宮崎駿氏に(当時、「風の谷のナウシカ」が発表、封切され、人気が浸透し始めていた。私は、高校生の頃、NHKで放送された「未来少年コナン」が、一回も欠かさず見続けるほど大好きだった)、講演終了後、振舞った水餃子を「おかわり!」と言わせた、私が自信を持つ水餃子。
中国を1ヶ月以上放浪し、だだっ広い中国の東西南北を訪れて(時には、南方の香港近くの広州市から、内陸・北方の昆明まで、普通列車で2日がかりで行った。中国人口が多すぎて座る席もない車内で、普通乗車客たちが食べ散らかす生ゴミを下にして横になり寝たことも)、食べ歩いて、作り方と味を仕込んだ、自信の水餃子とも比べようがない、味わいの「屋台骨」の焼餃子だった。
自分が得意とする本場中国の水餃子とは土俵が異なる焼餃子。私が家庭で作る焼餃子とは、まるで「月とすっぽん」。比べる必要もなく「屋台骨」の焼餃子は、焼き目にムラが無い皮目をサクッと噛みしめると、その次に細かく刻まれた充実した野菜群を、舌の上で再び完全な野菜個体に戻し、それらの個性ある味わいを一つひとつを想い出しながら独奏曲として愉しむ一方で、サクッとした皮目と、そのしっとりした餡とを合わせて協奏曲としても味わうという作業を愉しませてくれた。
「屋台骨」の焼餃子は、最後の一個を食べ終わることが惜しい気持ちが芽生え、私は長い時間そのような至福の想念に心を泳がせていた。。
「やじろべえ」に通所し始めて間もなく、芋煮会と呼ばれる昼食会で振舞われた、山形の芋煮汁の絶妙な味付けに感動し、「やじろべえ」に腰を据えたと言っても可笑しくはないし、暑っつい時期にダラダラと汗を流しながらも、喜んでもらえるのを楽しそうに、笑顔で最高の宮崎牛肉を焼いて通所者たちに焼き肉を振舞う職員の皆さんたちの、本気で施設利用者を明るく元気にしていこうという気持ちが溢れるのにも感動して、なかなか思うようにいかないながらも施設を辞めるまでに一つでも恩返しができるように、と想いながら私は通所2年目を迎えたが、まだまだその想いは遠く、及ばないでいる。
むしろ、進行性の難病のため月日を経るごとに転んだり、手の動きが遅く不自由になってきていて、足を引っ張る事態にもなっているようで申し訳ない。
この先、どこまで「やじろべえ」に通所し続けられるのか?今は、ハッキリしたことは言えない。転倒や歩行困難な状態が進行し悪化すれば、車椅子の常時利用にも至るだろうが、さらに通所することが困難になる事態も考えておかなければならない。3月に罹患したコロナウィルスで寝込んで以来、体力の低下がこれまで以上に顕著だからだ。
しかし、希望を無くすことばかりではない。自分が受けた脳外科手術(DBS)も、自分が受けたのが12年前。当時、新しい医療技術だったこの手術を受けて、既に寝たきりに近い状態だった私は、曲がりなりにもその後10年以上も自らの力で歩くこと起ち上がることもできるようになったのだ。
そう考えると、さらに新しい医療技術の進歩が、病気の進行を抑え、場合によっては病状の改善をもたらすことが可能になるかもしれない。否、そこまで望まなくとも、病状の進行を止めたり遅くすることは可能だと信じて、最期の結果が出るまで、もうしばらく「やじろべえ」に通わせていただこうと考えている。
「やじろべえ」は、通所者たちのことを本気で考え、心を傾けてくれる事業所だと信じているから。
そう信じているのは、職員の皆さんの最高の「食」を提供してくれる高い意識があると思うからだ。
そして、その根底には、なるだけできるだけ最高の支援を提供しようという志がることを感じ取れるからだ。
先程は、つまらない自分の過去の出来事を交え、長々と駄文を書き連ねてしまい、中には読みながら苦々しい気持ちや、嫌気を催させてしまった方がいらっしゃるかもしれませんね。。
本当に申し訳ございませんでした。
できましたら、さらにお手数をおかけして申し訳ないのですが、管理者の方に投稿の削除をお願いしたいと希望します。
発病して以来、症状のうちの1つ、構音障害のため、ますます人と会話することができなくなり、自分のことを話すこともなくなってしまったので、文章を書く機会があると、長々とくどい文章になり、また、尋ねられもしないのに、勝手に自分のことを書いてしまう悪弊がいつの間にか身についてしまったようです。
反省しましたので、これからはこのように無駄な私ごと、つまらぬ長文を書くことはないように注意します。
本当に申し訳ございませんでした。
「やじろべえ」の志の高い職員の皆様と、通所者の皆さんとの出会いには、心の底から感謝していることに嘘は一切ありません。
>小太りじいさん様
コメントありがとうございます。
ホント、びっくりする美味しさでしたよね。
毎日お仕事を頑張るみなさんを、少しでも応援できるイベントが企画できてよかったです。
これからもどんどんご意見ご感想をお聞かせください、お待ちしております^^
屋台骨さんのラーメンと餃子めっちゃ美味しかったです!
また来てください!